手塚治虫の『ブッダ』という作品をご存知ですか?『ブッダ』は、シャカ族の王子シッダルタが人として生きる上で逃れられない苦しみと向き合い、悟りを得てブッダ(「目覚めた人」の意)となって人々に教えを説く旅中で亡くなるまでの仏教誕生の物語を描いた作品です。
この作品は史実をベースとしつつも、架空の人物もたくさん登場する大河フィクションなので、その点は注意する必要があります。しかしながら、人間の悩みや苦しみ、死という重たいテーマを受け止めつつも、絶妙なバランス感覚でエンターテインメントに昇華した手塚治虫の手腕には舌を巻くばかりで、天才の天才たる所以を見た気がします。
僕はもともと仏教に興味があり、仏教思想やブッダという人物について知るためにこの作品を読みました。普段マンガを読まない僕ですがぐんぐん引きこまれ、ブッダが悟りを得るシーンではボロボロ泣けました。そして、読む前と読んだ後で世界を見る目が一変しました。まさに心を揺さぶられる体験です。しばらく食事が喉を通らないくらいの衝撃と感動を覚えました。
特に、ブッダが悟りを得るきっかけになった「ヤタラの物語編」は何度読み返しても泣けます。仏教誕生の背景にあるのは、強烈な差別の存在。奴隷というだけで、何も悪いことをしていなくてもむごい殺され方をする。人権が無いとかそういうレベルではない、圧倒的な理不尽が描かれます。 そしてその身分差別は、差別される側である奴隷階級だけでなく本来差別する側、ヒエラルキーの頂点にいる王族にも大きな苦しみをもたらすものとして描かれます。
「ヤタラの物語編」のあらすじ
目の前で無実の両親を殺された奴隷階級の少年ヤタラは、父親の残した秘薬を飲んで無敵の大男となり王国の近衛兵を務めていました。ある時、ヤタラは奴隷階級の女性に亡き母の面影を感じ第二の母と慕うようになります。その女性こそ「ヤタラの物語編」のもう1人の中心人物ルリ王子の母親でした。ルリ王子の父親は隣国に騙されて奴隷階級の女性と結婚し、その2人の間に生まれたのがルリ王子です。後から奴隷の血を引いていることがわかり、王族としての威厳を保つためルリ王子は実の母を奴隷として扱うほかなかったのでした。
悲劇は奴隷部屋で疫病が発生したことから起こります。ルリ王子は疫病の蔓延を防ぐため、奴隷たちを奴隷部屋に閉じ込め火をつけて全員焼き払えと命令を下します。もちろん、そこに実の母が含まれることを知りながら。ヤタラは燃え盛る奴隷部屋から第二の母(ルリ王子の母)を救い出しますが、すでに病にかかっており程なく息絶えました。
2人の母を失ったヤタラは自暴自棄になり、自分は世界一不幸な人間だと嘆きながら、差別のはびこる世の中と母を焼き殺す命令を下したルリ王子を恨みました。そんなとき出会ったのがシッダルタでした。ヤタラは「世の中に幸せな人間と不幸せな人間がいるのはなぜか?」とシッダルタに問い、物語は以下の場面へ続きます。
どうして自分ばかりこんなに不幸なんだ!!
あいつは幸せそうで羨ましい!!
そんな憤りを感じたことは誰だってあるでしょう。ヤタラに感情移入すればするほど彼の「自分は世界一不幸な人間だ」という嘆きに共感していきます。ところがシッダルタの指摘によってハッと気付かされるのです。不幸なのは自分だけではない。みんな等しく苦しみながら生きているのだと。
「では、苦しみながら生きる意味なんてあるのか?」というヤタラの問いに、
「人間も自然の中にあるからにはあらゆるものとつながりをもって生きている。そのつながりのなかでお前は大事な役割を果たしているのだ」
と答えたシッダルタは、ついに悟りを得てブッダ(目覚めた人)となります。仏教がこの世界に産声を上げた瞬間です。この考え方は今日では縁起(えんぎ)と呼ばれ、仏教の根本原理の一つとなっています。
仏教思想と現代社会
翻って現代社会では、SNSの普及によって他人が幸せそうにしている姿を目にしがちです。人の幸福を羨み、それと比べて自分の不幸を嘆くという思考パターンに陥ってしまう人は多いでしょう。でもブッダの言葉で誰もが苦しみを抱えて生きていることに気付かされます。恋人といつも幸せそうにしている人はその人を失う恐怖といつも隣り合わせのはずです。仕事で昇進した人は押し潰されそうなプレッシャーと戦っているかもしれないし、お金持ちは税金と税務調査を恐れるものです。
宗教として仏教を信じるかどうかはともかく、仏教の思想には現代の私たちにとって大きなヒントがたくさんあると感じます。そんな仏教思想をエンターテイメントの中で教えてくれる『ブッダ』。生きることに苦しさを感じている人にこそぜひ読んでほしい作品です!
最後までお読みいただきありがとうございます。
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